2003年

ーーー9/2ーーー 世界陸上

 就寝前に蚊取り線香を用意するのを忘れたのが原因で、夜中じゅう体のあちらこちらを刺されて、浅い眠りだった。その薄っすらとした意識の底で、「始まるわよっ!」という声を聞き、がばっと跳ね起きて居間へ入ると、既に家族全員、テレビの前に並んでいた。世界陸上パリ大会、男子200メートル決勝の中継である。時刻は四時に近かった。

 末続選手の力走に、寝ぼけ眼も熱くなった。スタートは強いが、走りの後半がダメだと言わてきたのが、日本選手の一般であった。それが、このレースの末続選手は、得意なはずのスタートで遅れ、もはやこれまでかと感じられた中盤をなんとかしのぎ、ゴール前で速度を伸ばして三位に食い込んだ。まさに死中に活を求める、執念の走りであった。

 私は、三十台の前半、ランニングに凝っていたことがある。その当時は会社勤めをしていたが、昼休みの時間を利用して、毎日五キロほど走っていた。まだ若かったから、毎回全力で走った。一日のエネルギーの大半を、このランニングで費やしてしまうと思われたほどである。そして、走る度にタイムを計り、ノートに記録した。それを三年ほど続けると、あることに気が付いた。それは、自己ベストを出すことの難しさである。

 ランニングを始めた当初は、走るたびに面白いようにタイムが良くなる。しかし、一年も経てば、だいたい自己の限界に近付いてきて、あるときポッと良いタイムが出れば、後はそのタイムを追う毎日となる。

 そんな状況に於いては、自己ベストを出せる機会は、年に数日に限られる。まず、気候の良い時期でなければならない。暑過ぎても、寒過ぎてもダメだ。となると、4〜5月か、10〜11月ということになる。しかも、その日の天気が問題である。気温は適度でも、雨が降っていたり、風が強ければ、良いタイムは出ない。その上、体調が良くなければならない。毎日走っているのだから、日ごとの疲労のリズムがある。その疲労が、ちょうど谷になっている状態でなければ難しい。前日深酒でもしていたら、望みはない。気持ちの上での充実度も大切である。これらの条件を、全てクリアーしなければ、ベスト記録は出ない。となると、確率的に言って、チャンスは年に数日しか無いのである。

 以上述べたのは、素人ランナーの話だから、競技専門の選手には当てはまらないかも知れない。しかしそれでも、一生の間に何度もない大きな大会の試合当日に、自己の最高の状態を持って来るのは、大変なことだと思う。しかも、様々に起こるアクシデントに耐えて、最高の力量を発揮するのは、並み大抵のことではないに違いない。

 ふとんに戻ってから、こんなことに思いをめぐらしたら、僅か二十秒間のシーンが胸につかえて、しばらくは眠りに入れなかった。

 

ーーー9/9ーーー 安曇野穂高家具ギルド

 二年前に、この地域に住む木工家具作家が集まってグループを作った。お互いに協力して、展示会を開くのが目的。グループの名称は「安曇野穂高家具ギルド」となった。

 一人でやる個展は、完全に自分の自由になるという点が魅力ではある。しかし、実際にやろうとすると、たいへんな労力が必要となる。展示品が全て売り切れるということは、まず有り得ない。いや、ほとんど売れ残ることの方が多いかも知れない。そのようなことだと、展示会は木工家具作家にとって、「憧れの不採算行為」になりかねない。展示会に入れ込み過ぎると、日々の糧を稼ぐ仕事を圧迫することになる。趣味の木工でない限り、それは事実上受け入れられることではない。

 グループで展示会をやれば、個人の負担はかなり軽くなる。会場費を分担できるし、品数もそろえ易い。展示品の搬入、搬出は、お互いに協力すればばラクだし、トラックなどの装備も融通しあえば能率が良い。頭数がいれば企画のアイデアが色々出るし、各自の得意分野を出し合えば、活動の巾も広がる。そして何よりも、お互いに励まし合えることが、大きい。

 グループ展などと言うと、なんだか女々しい印象を受けるかも知れない。一匹狼の作家スタイルの方が、格好良く写るだろう。しかし、真面目にオリジナル作品の発表の場を模索する木工家にとって、グループ展が、現実的かつ有効な手段であることは、間違いない。

 ギルドの展示会は年に一回、今年で三度目になる。懸案だったホームページも、立ち上げた。こちらの方も、覗いて見ていただければ有り難い。

ギルドのHPアドレス  http://www5f.biglobe.ne.jp/~k-guild/ 


 
ーーー9/16ーーー 自転車の修理

 ご近所というわけではないが、同じ穂高町に住んでいるA氏。もとは大阪で自転車メーカーを経営されていた。今はリタイアされているが、氏の自宅の裏には立派な作業場があり、人に頼まれれば自転車の分解、点検、修理を引き受ける。また、自転車で安曇野を走る月例のイベントを運営し、楽しく自転車に乗る運動を広めている。

 私もずいぶんお世話になった。パンク修理の方法を習ったり、マウンテン・バイクのハンドルをドロップ型に付け替えてもらったり、変速機の調整の仕方を教わったり。また、安曇野を走る会にも参加させていただいた。とにかく根っからの自転車好きなので、何でも快く引き受けてくれる。自転車の伝道師といった感じの人である。

 先日も、息子が通学に使っている自転車のスポークが切れたので、その修理の仕方を教えてもらいに行ったら、その場で説明しながら直してくれた。普段なにげなく使っている自転車でも、詳しく見るとなかなかの優れものであることが分かる。車輪の構造は、軸とリム(タイヤの内側の金属の輪っぱ)が数十本のスポークで連結されているだけだが、お互いに引っ張りあう力のバランスはデリケートである。

 切れたスポークは7本ほどであったが、それを新品と交換しただけでは済まない。その時点では、リムは歪んで平面を成していないし、軸の中心も出ていない。それを直すには、スポーク一本づつの張力を強めたり弱めたりしながら、全体のバランスを整える必要がある。A氏が、「ここは締める、こっちは緩める」などと言いながら、ニップル回しと呼ばれる工具でスポークの張りを調整していくと、マジックのようにしてリムは平面を取り戻し、軸は中央に納まった。

 私は、二十台の後半、会社勤めをしていた時、インドネシアの工事現場に駐在したことがある。アンモニアと尿素を製造するプラントの建設工事であった。その現場は、数キロ四方にわたる広さであった。その現場内の移動のために、会社はシンガポールから新品の自転車を十台ほど購入したが、それらは驚くべき代物であった。

 使い始めた初日にパンク、二日目にはブレーキが破損。三日目にはスポークが切れ、四日目にはハンドルがグラグラ。五日目にはフレームが曲り、六日目にはペダルが空回り。こんな具合にして、一週間のうちにほとんどの自転車は故障して使えなくなった。

 日本製の自転車なら、こんなことは考えられない。しかし、自転車というものは、実はかなり大きな負荷を受ける道具なのである。ちゃんと作られていなければ、あっと言う間に壊れてしまう可能性もあるのだ。そういうことを、その時初めて知って驚いた。

 A氏の手際の良い作業を見ながら、ふとそんなことを思い出した。



ーーー9/23ーーー 新月の樹 

 
20日から22日までの二泊三日で、福島県は南会津にあるオグラという名の材木店に出張した。この材木店の所在地は山の中である。広葉樹の産地にあり、自社で山から切り出した材木を製材し、展示販売している。他に家具や木の小物なども販売していて、辺鄙な場所にもかかわらず、休日には来客で賑わっている。旧態依然の体質が多い材木商の中にあって、オグラは先進的な数々の取り組みを実践しており、ここ数年の間に、各方面から注目されるようになった。そのオグラと私との付き合いは十年になる。

 今回の出張の目的は、オーストリアの木材業者エルヴィン・ト−マ氏を迎えた講演会と、ワークショップに参加することであった。

 材木というものは、保管中に虫が付いたり、腐れが入ったりすることがあり、それが木材加工に携わる者にとって悩みの種となる。ト−マ氏は、樹を伐採する時期を適切に選ぶことにより、その問題を回避できる可能性を指摘し、書物として世に出した。

 樹を伐採するのに適しているのは、秋から冬にかけた時期であるというのは、木材業界の常識である。その時期は樹の成長活動が低下し、樹の内部の水分が少なくなっているからである。反対に、春から夏にかけての、樹が活発に成長している時期は、多量の水分を地面から吸い上げている。そのような樹を伐採し材木に加工すると、水分のために腐れが入ったり狂ったりして、具合が悪い。

 ト−マ氏の説によると、その適期の中でも、特に闇夜(新月)の日に伐採した樹は、虫や腐れの害に強い。つまり、秋から冬にかけての時期で、新月の日に伐採した樹が、最も優れた品質であるというのである。その説を抱くに至った経緯は、著書「木とつきあう知恵」(地湧社)に述べられている。

 一見唐突で、信じ難い説のように見えるだろう。しかし、このような伝承は、実は国内にも存在していたのである。私自身、数年前に愛知県は足助町にある樫材を扱う材木屋を訪れたときに、店主からそのような話を聞いたことがある。新月の日に伐採した樫は、虫が付きにくいというのである。

 講演会にてトーマ氏の説を聞き、ワークショップにてオグラのスタッフによる丸太の製材を見た。製材のやり方や、木材保管の方法について、意見交換がなされた。あえて言うならば、天地がひっくり返るような、劇的な新説が飛び出す場面は無かった。しかし、些細な事のようでも、その道の者にとっては重大な意味を持つことがある。私にとっては、大いに刺激され、勉強になった二日間であった。



ーーー9/30ーーー 奥会津の木割り木工

 先日南会津へ出かけたのは、エルヴィン・トーマ 氏を迎えたイベントに参加することの他に、もう一つも目的があった。それは、この地方に伝わるブナ材を使った木工技術の取材をすることであった。

 ブナの産地であるこの地方は、昔からブナ材を使った生活用具の製作が行なわれてきた。今回取材したのは、杓子作りの名人の仕事である。杓子とは、鍋料理の具をすくうのに使われる道具で、現代では金属製の「おたま」に取って代わられていることが多い。しかし、煮えて軟らかくなった具を崩さずにすくえるとか、味見のために口に当てても熱くないとか、使い勝手はなかなか良い。

 今回の取材のポイントは、丸太の木割りである。杓子作りは、丸太を板状に加工するところから始まるが、その板を作る伝統的な技術が木割りであり、それが一番難しいとのことであった。 

手順としては、まず丸太を杓子の丈より少し長めの30センチくらいで切断する。それの木口が上になるようにして床に置き、鉈を当てて槌で叩き、所定の厚みに割る。直径40センチくらいの丸太なら、30枚ほどの板が取れる。つまり杓子が30ケ作れるのである。このようにして割る作業自体は、別に難しいことではない。問題は、割り易い木を見定めることなのである。

 割れ易い材だと、割裂面が鉋をかけたように平らで、しかも滑らかになる。それが割れ難い材だと、全く割れなかったり、たとえ割れたとしても、曲ったり凸凹になったりして、良い板が取れない。良い板が取れないということは、その後の作業がやり難くなり、余計な手間がかかるということになる。また原材料から取れる製品の数が少なくなる、つまり歩留まりが悪くなることでもある。丸太を割ることで板を作るという、きわめて能率の良い加工方法で支えられているのが、この杓子作りである。木割りが上手くいかないということは、製作体系そのものが崩れることを意味する。

 取材の現場には、長さ2メートル程度の丸太が、二十数本積まれていた。名人はその全てを入念に調べ、最終的に一本だけを抜き出して、上手く割れそうなのはこれだけだと言った。しかも、その丸太も、途中から先は枝分かれの痕跡が見られ、上手く割れないだろうとのことだった。割れ易い材というのは、それほど少なく、手に入り難いのである。

 割れ易いかどうか、丸太を見立てるにはいろいろなノウハウがあるそうだ。樹皮を剥がして材面の模様を見たり、木口断面の木目を調べたり。しかし、それらのノウハウを駆使しても、確実なことは分からない。上手く割れるかどうかは、結局は割ってみるまで分からないとのことだった。これが丸太ならまだしも、立ち木の状態で見極めるのは、たいへん難しいことだそうである。立ち木の選木で間違えば、後の作業が全て無駄になり、製作者としてはたいへんな時間の損失となる。だから、木を見るのは真剣勝負だと言う。「なにしろ生活がかかってるからね」この言葉が、名人の口癖のようであった。

 永年の経験によって材を見定め、手作業ながら能率良く製品を作る仕事が、会津の山奥で綿々と続けられてきたのである。ここには、木を利用する人間の知恵の、一つの形がある。そして、使えない木は切らないという、自律的な環境保全の姿勢もうかがえるのである。

 ところで、ブナの産地として知られてきたこの地方でも、最近はブナ材が全く出なくなったと聞いて驚いた。昨今の癒し系のブナ林ブームで、この地でもブナの伐採が批判を浴びるようになったと言うのである。自然保護団体、特に野鳥の会などが、強硬な姿勢でブナの伐採を禁止するよう申し入れた。そして営林署は、ブナの伐採を全面的に止めることにしたのである。

 今回の取材で使われたブナの丸太は、民有林にあった支障木ということで、特別に切り出されたものだった。杓子作りの名人にとって、久しぶりの仕事となった。しかし、ごく僅かな量の材でしかない。これが終わってしまえば、名人の技術が見られる日は、二度と再び訪れないのだろうか。




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